「不登校になった娘は、発達障がいでした。」

はじめまして。
槌田紀子と申します。

私の娘は、小学校を不登校になったことがあります。
しかし、今は、様子を見ながらですが、登校ができるようになりました。

娘も苦しみましたが、母親である私もとても苦しみました。

そして、今があるのは、
色々と相談できた病院の先生や、学校の先生方のおかげだと感謝しています。

どんなことが起こっても、一人で悩まず、
誰かに相談して助けていただくことも大事なのだとおもいました。

この、理由もわからず、急に不登校になった娘が登校できるまでの経験を、
「不登校」でお悩みの方の何かのお役に立ちたいと、体験談を投稿することにいたしました。


私の娘は、現在、小学3年生です。

小学1年の二学期のある日、娘は急に「学校に行きたくない」と泣いて暴れだしました。

当時、私はどうしていいかわからなかったのもあり、
訳もわからず泣いて嫌がる娘を無理やり学校に連れて行きました。

学校に着いても、娘は暴れて泣きました。
それでも、学校に毎朝連れていきました。
娘は、運動会の練習も暴れ泣いて参加することができませんでした。

私はそんな毎日に、胸が苦しく、生きた心地がせず、
理由もわからず苦しんでいました。

そこで、私は病院に電話して予約をとり、娘を検査してもらうことにしました。
結果は、「不安障がい」で「発達障がい」の凸凹があるということでした。
発達障がいの二次障害がでていたのです。

やっと理由がわかりました。
娘が「発達がい」が原因でとても苦しんでたんだ、とおもうと涙がとまりませんでした。

それからは、「どうにか不安障がいを治してあげる」ことに必死になり、
週1で往復3時間かかる病院に通い始めました。

娘は、とにかく「自己肯定感をアップする」セラピーを受けることになりました。

学校も、私は先生とお話ししておやすみすることを伝えました。

とにかく「娘の居場所」を見つけてあげることが一番だとおもい、
家族みんなで娘の自己肯定感心をアップすることにしました。

当たり前のことができても、褒めて、褒めて、とにかく褒めました。

「その方法は正解で大丈夫」ということを伝えれるように、必死だったような気がします。

この頃は、「娘が不登校」という現実に、
私ももう目の前が真っ暗になっていました。
心から笑う事さえもできなくなってたような気がします。

それでも笑っておこう、娘の前で笑って、娘が不安がらないように、
どんな時も笑って受け止めてあげようと決めました。

3カ月が過ぎ三学期にはいりました。
突然、娘が学校に「放課後だけ行く」と言ってくれました。
その時は胸が張り裂けそうなくらい嬉しかったです。

先生と会って、図工だけして帰ってきたりしているうちに、
「お昼からだけ行く」と言って行き始めました。
そのときは自分の父親が亡くなって泣いたときより号泣しました。

私は、ずっと「学校に行くのは当たり前」と思っていました。
娘が「学校に行けた」ことでこんなに嬉しくて泣くなんて・・・
もうほんとに感動して涙がとまりませんでした。

こんな当たり前のことができて感謝できるなんて、
ほんと素晴らしいことだと思ったんです。

やがて、朝からも行けるようになりました。

今、三年生ですが、娘の特性としっかり向かいあい、無理はせずに登校させています。

月曜日は、切り替えがなかなかできず、学校をお休みすることが多々あります。
他の曜日も、途中から行ったりしていますが、学校にいけるようになりました。

娘は「発達障がい」なので、普通の子よりエネルギーをつかいますし、
集団も苦手で、感覚過敏もひどく、みんなの声も雑音に聞こえているようで、ほんとに辛いと思います。

でも、今は「笑って過ごしてくれてる」ことに感謝して一日一日を過ごしています。

今でも娘は見通しのつかないことがあると、不安でパニックになったり、
疲れると癇癪起こして私に当たってきたりしてます。

それでも「娘が一番苦しんだ」とおもい、
笑って受け止めてあげることにしています。

私も爆破しそうなときありますが、うまく発散しながら頑張ってます。^_^

こうやって過ごしてきた経験を振り返ってみると、
笑って、家族で受け止めて、「居場所を作ってあげる」と
自己肯定感もアップして自信に繋がるのかな、とおもいました。

これから先、もっといろんな壁にぶちあたるとおもいます。

でも、今までのように、親子で乗り越えていこうとおもいます。
そんな人生を楽しみながら。^_^

槌田紀子