「発達障がい」の「差別」を感じたことはありますか?

「発達障がい」が関係しているのかどうかはわかりませんが、答えは「はい」です。

しかし、嫌な気持ちになることもありますが、全く嫌な気持ちにならない差別もあります。

私は、差別については「差別してくれる方がありがたい」と思うこともあります。

「差別」というのは「絶対にしてしまうこと」なのです。

マリアさんがコラムで書かれていたように「差別はなくならない」のです。

そうであれば、「差別」を「うまく利用する」ことが大切だと思っています。

国語辞典で「差別」を調べてみると、

 ① 違いにより区別すること。

 ② 取り扱いに差をつけること。

 ③ 他よりも不当に低く取り扱うこと。

という風に書かれています。

③の意味が、誰しもが思い浮かべる「差別」なのではないでしょうか?

この「差別」はあたりまえですが、「嫌」ですよね。

しかし、発達障がい者にとって①②の意味の「差別」は、とてもありがたいことなのです。

驚かれるかもしれませんが、

私のような人は「差別」をしてもらわなければ、社会の中で生きていくのは困難なのです。

例えば、「視覚優位・聴覚劣位」

企業で仕事をする上では「言う」「聞く」だけでの指示では全て覚えきれず困ったことになってしまいます。

何度も確認して聞かなければ安心できなかったり、メモしたことを確認してもらったりと、

相手に手間を増やしてしまうことにもなります。

それならば、最初から「書いたもの」を渡してもらうとか、「メモ」しながら話してもらえると、

とてもスムーズに仕事ができるのです。

健常者なら「できる」ことが「できない」ことは、色々出てきます。

しかし、

健常者と差別して、うまくトレーニングや指示をしてもらえれば、

健常者以上の能力を発揮することができるのが「発達障がい」の人なのです。

よくカウンセリングでもお話しすることは、

「自分の特性」を仲間に伝えておくことです。

そうすることで、

「できないこと」を無理やり「できるようにしなさい」と言われることもありませんし、

「特性に合ったこと」をさせてもらえることが多くなります。

そういう意味で、「差別」してもらえることは、とてもありがたいのです。

しかし、実際に生活していると③の「差別」をしてくる人が大半です。

「差別」という「言葉の意味」自体が③だけになっているような気がするのです。

この③の差別をしているところで、一番多いのはどこだと思いますか?

私が感じるだけなのかもしれせんが

一番、③の「不当に扱う」差別をしている場所・場面は、「家庭」なのです。

もちろん、「保育所」「幼稚園」「学校」などの教育現場でも起こっています。

「友だちの家」「遊び場」などでも起こっています。

それは、まだまだ「知識不足」で「人としても未熟」だから起こることです。

子ども同士での「差別」をどうしていくか、は日々の課題なのではないでしょうか。

しかし、一番大きな問題は「家庭」での差別です。

まず最初に体験した「差別」は「妊娠」した時です。(私は2度、結婚・離婚しています)

お互いの親が許して結婚したはずなのに、いざ妊娠してみたら、こう言われました。

美保さんは「障がい」を持っているから、子どもにも遺伝しているかもしれない。

親戚で「障がい」を持った子どもを育てるのに、本当に苦労した人がいる。

だから、産んでほしくない。

すぐに堕ろしなさい。

・・・「ハァ?!」ですよ。

それなら、初めから「妊娠するようなことはするな」と言うとけよ!旦那にな!!!

と思いました。

それから、産婦人科医に義家族をなんとか説得してもらい、その時は堕さずに済みました。

しかし、望まれなかったからでしょうか、結局は胎内で死んでしまいました。

掻破手術をして子どもを堕ろした時には、悲しみのあまり、しばらく生活もままならなくなりました。

「障がいを持った子ども」を妊娠することへの「差別」。

いったい、何が悪いのか、私には理解できません。

産んだ後、きっと大変なことが続くでしょう。

私の子どもなのだから、きっと天邪鬼で扱いにくい子どもになるでしょう。

わがままで、アクの強い子どもになることでしょう。

しかし、それの何が悪いのか?!

「命を育てる」こと、「人を育てる」こと、それの何が悪いのでしょう?

 苦労することの、いったい何が悪いことなのでしょう。

「我が子を育てる」喜びは、きっと何にも変えられない「母性」だと思うのです。

発達障がいのお子さんをお持ちの方は、きっとご苦労されているでしょう。

それは、わかります。

しかし、だからと言って2人目、3人目とも「障がいを持った子ども」が生まれるとは限りません。

一人っ子が多い世の中ですが、ぜひ「きょうだい」を考えてみてください。

私には姉、弟がいます。

姉は健常者です。弟は未診断の発達障がいです。

お互いに全く違う性格ですが、ケンカしたり、遊んだりしたことは、

社会に出た時のコミュニケーション能力を手助けしてくれたと思います。

次に、大きな問題は

「両親」の子どもへの「発達障がい」の「差別」。

私の両親のことは少し書いたことがあるかもしれませんが、「差別の塊」のような人たちです。

34歳で「発達障がい」とわかった時「そんなはずない」と言いましたし

「変な子でしたけど、ちゃんと成長してましたし、勉強もしてましたし・・・」

と、否定しまくりました。

「障がい受容」には時間がかかりました。

そして、一旦「受容」したならば、

「あなたは障がい者なんだから大人しくしてなさい!」「変なことしないで!」

と「障がい差別」をし始めました。

お恥ずかしい話、

37歳になった今でも「あんたを信用してないから」と言いますし、

何をするにも見張られています。

私は「出版プロジェクト」をしていますが、

そこで「株式会社設立」の話を両親にした時も

「なんで、またあんたがそんなことし始めるの!」と怒り罵りました。

手続きに必要な「実印」「印鑑証明カード」も、未だに両親管理です。

利用したい時には、何日もかけてプレゼンをし、両親を説得しなければなりません。

「ここは、難関な役所か!!!」

と、毎回思います。

正直、憂鬱で、悲しくて、辛いです。

差別の中で、一番悲しいのは「家庭」内差別です。

「姉と弟」には「家庭」があることも関係していると思いますが、扱いが全く違います。

一番の違いは「信用」です。

「発達障がい」だから「忘れやすい」。

だから、大事なものの管理は「絶対にさせない」。

実は、私は未だに自分の「マイナンバー」を知りません。

「教えて欲しい」と何度も何度も頼んでも教えてくれません。

両親が私のことを、未だに幼い子どものように、

大事に育ててくれてくれているのかもしれないとは思います。

しかし、「発達障がい」であっても「心」はちゃんと年齢と共に育つのです。

私の両親も、私が「発達障がい」とわかってから、まだ3年です。

これから、私から「正しい知識」「私の気持ち」をきちんと伝えていかなければいけないな、

と思っています。

「発達障がい」と「差別」。

これは逃れようにも逃れられない問題です。

だからこそ、自分自身の「心」を磨かなければなりません

私は、どんな障がいの人と出会っても、決して「差別の心」では接しません。

「その人に合った接し方」が必ずあるはずなのです。

それを見極めて、一人一人違った接し方を心がけています。

イベントでお子さんを連れてこられた方は実感されたのではないでしょうか?

どんな子も、すぐに打ち解けてくれることに。

「発達障がい同士」だからかもしれませんが、それだけではありません。

その子に合わせて「心を寄り添って見守る」だけで、お子さんが心を開いてくれるのです。

そこにテクニックも何もありません。

「差別」と言うものを、一切しないからです。

生きていく限り、誰しもが直面する「差別」。

なくしたくても、なくならないですし、

全部無くなってもらっても困る問題でもあります。

「正しい知識」さえ持っていれば、「正しい差別」もできるはずです。

それを今後の活動でお伝えできればいいな、と思っています。

朝倉 美保