「親としての、子どもの見守り方」

みなさんこんにちは。前田マリアです。

みなさんのおかげで、みのり。の中の人気コラム一位だそうです。
ありがとうございます。

さて今回は、「親としての子どもの見守り方」です。
このテーマに決まった時、「私が書いても良いのか?」と少し悩みました。
というのも、私もまだまだ子育て真っ最中ですし、皆さんと同じように試行錯誤しながら、子ども三人と暮らす親です。

一応の専門家として、親としての「理想」はわかるものの、実際には「できない」ことも多く、理想の親や理想の母親像なんて、子どもが生まれてすぐに、ガラガラと音を立てて崩れ落ちました(笑)。

というのも、子どもは親の思い通りにならない最たるものだと思っています。
ですから、親の思い通りにするものでも、親の思い通りになるものでもなく、
「共に生きる人」だと思っています。

言うことを聞いて欲しい、親の求める良い子になって欲しいと思うから、子育てはしんどくて苦しくなるのではないでしょうか?

ですから、今回は理想の子育てではなく、あくまでも、「マイルール」についてお話しできたらなぁと思っています。発達障がいというよりは、子育て全般のお話しになりますが、少しお付き合いくださいね。

さてさて、皆さんのお家は「泥遊びOK」のお家ですか?「汚してOK」のお家でしょうか?我がブログをずっとご愛読いただいていた方はご存じだと思うのですが、わが家は全部OKです。

泥団子を作ったり、絵具を使ったり、頭から水をかぶったりも全然OK!
毎日虫を捕ったり、亀を釣りに行ったりすることも日課です。
それらのすべてが非日常ではなく、幼稚園や保育園以上に日常的です。

もう本当に、これらの遊びを毎日するために、習い事もしないし、私の予定も平日はほとんど入れません。彼らにたっぷり付き合うために、晩御飯からお風呂の準備まで、全て朝のうちに済ましておきます。

それくらい、我が家の子どもたちは遊び切って、20時には就寝という、ザ・健康児の生活を送っています。私は、彼らに「汚れるよ」「汚いよ」はあまり言ったことがないのです。

もちろん、たまのお出かけなど、汚してほしくない時もありますが、必ず着替えを携えていますし、基本的には汚れて困る服など持っていません(笑)。

そうそう、私流の子育ては「子どもにとことん付き合うこと」なのかもしれません。これは、子どもの言いなりになることではなく、子どもの言うことを聞くという表現が一番しっくりくる気がします。

「子どもの言いなりになる」というのは、
心を満たさずに「物を代替えで与えること」だと思います。

子どもが外に遊びに行きたいという。自転車にチャレンジしたいという。泥団子を作りたいという。それらをかなえてあげることは、「心を満たすこと」につながります。ですがそれを、

「お母さん、今手が離せないからゲームでもしてなさい。」

「自転車なんてまだ無理無理!家でテレビでも見ていたら?」

「服が汚れるでしょ?このお金でお菓子でも買ってきて、食べたら?」

この光景、実はよくあることだと思います。
おとなしいから、私に迷惑がかかるから、心を何か別の方法で満たす。
これが、実は「子どものややこしさ」につながっているのだということに多くのお母さんは気づいていないのです。

小さなころから、「本当の望み」をかなえられず育った子どもは、実は大きくなるにつれて問題を起こす子になる光景をよく目にします。
それは発達障がいでなくても、発達障がいの子のような行動を起こす子も少なくないのです。

小さな子どもたちの、いや、全ての子どもたちの心の帰属先は親。
ほとんどの場合が、お母さんです。
子どもたちは常に、心をお母さんでいっぱいにしたいのです。

でも、私たちはついついそれを忘れてしまい、自分のことでいっぱいいっぱいになる。子どもたちへ向かう子育てが、いつの間にか「私の子育て」になり、だからこそ、「うまくいっているのか、いっていないのか」ばかりが気になってしまう。

子どもたちは本来、めいっぱい親に迷惑をかけて育っていくものです。
たくさんわがままを言ったり、ぎゃーぎゃー泣いたり、親を困らせたりしながら、そんなことは見事に忘れて大人になっていくのです。

それが本当の姿なのに、子どもたちについつい言ってしまう「他人に迷惑をかけてはいけません」という言葉。裏を返せば「だから、母親である私にも迷惑をかけないで」になっている場合が多い気がします。

大きくなったとき、子どもが学校へ行きたくないと言ったら、皆さんはどうされますか?
その学校へ行けないちゃんと理由を聞かずに、「学校を休むなんて恥ずかしい!」というのは、いったいどうしてでしょう?
恥ずかしいのは一体誰なのでしょう?
それは間違いなく親です。

引きこもりになったとき、それを恥ずかしいと思うのは、いったい誰でしょう?
大体の場合、そう思うのは親です。

発達障がいを抱えているなら、いつかやってくるかもしれない不登校や引きこもり。
それを恥ずかしいと言ってしまったら、彼らの心の帰属先がなくなるのと同じです。

不登校になりたくてなるのではありません。行けない理由があるのです。
これを、行ったら○○を買ってあげるとか、ご褒美で釣るようなことは決してしないで欲しいと思います。

見守るのが難しければ、子どもに付き合うのです。
泥団子が作りたいなら、私も一緒に作ってみる。
一緒に汚れてみる。黙って見守ることが苦手なら、どうぞ、一緒に遊んでください。
ブランコも思いっきり漕げばいい。

いきなりは難しいでしょう。
まずは一週間に一回「思いっきり遊びに付き合う日」を作ってみてください。

大人の都合ではなく、子どもに付き合う。

その時の子どもたちの笑顔ほど、キラキラしたものはないのだと気づくはずです。
遠くへ出かけなくても、近くでダンゴムシを見つけるだけでも良いのです。
子どもはお母さんの心と身体が、自分自身に向かっていてくれるのが、とてつもなくうれしいのですから。

前田マリア