「障がい」の「親」の考え方

はじめまして。

この度、みのりの森にて「発達障がいコラム」を担当させていただきます、心理カウンセラーの前田マリアと申します。

子どもやお母さんを中心に、主に発達障がいの子どもや問題を抱えるご家族のお悩みを解決するという仕事をさせていただいています。

つい先日まで「ちいさな森」という発達障がい専門サイトを運営していたのですが、友人でもあり大切なビジネスパートナーである朝倉美保さんが、障がいのポータルサイトを立ち上げることになり、私の活動も共に歩んでいくことになりました。私自身、本当にワクワクしています。

皆さまよろしくお願い致します。

 

さて、皆さんは「発達障がい」と聞いて、どんなイメージを持たれますか?

近年は、理解も進みつつありますが、まだまだ偏見も色濃く残り、

もし「我が子が発達障がい」と診断されたら、皆さんはどのように感じられるのでしょうか?

「目の前が真っ暗になった。」

「主人の前で大泣きしました。」

「まさか、我が子が・・・。」

そのような回答が一般的だと思われます。

「絶対に認めない」という親御さんも中にはいらっしゃいます。

果たして「発達障がいと診断されること」は、本当に不幸なことなのでしょうか?

発達障がいだという事実は、人生が真っ暗になるほど、否定されるべきことなのでしょうか?

私にはそうは思えません。

 

発達障がいには、大きな幅があり、

知的な障がいがあるものから、いわゆる高機能と言われるIQの高い発達障がいもあります。

学習だけに困難がある学習障がいも、注意欠陥や多動性の目立つADHDも発達障がいの1つです。

ですが、どんな発達障がい者にも、

いえ、どんな人間にも「美点」というものが必ず存在します。

「美点」のない人間なんて存在しません。

そしてその美点は、大体の場合「欠点と隣り合わせ」に存在することがほとんどなのです。

 

例えば、発達障がい特有の「こだわり」行動がその一つです。

小さなころには電車にしか興味がなく、様々な路線の駅名を詳細に覚えている子。

自分がもつ大好きなものの知識を片っ端から話している子。

肌の感覚や音の感覚に敏感さを見せる子。味やにおいもその一つでしょう。

 

ですが、私たち親や大人側は

「電車の名前なんか憶えても、将来なんの役にも立たない」などと言っては、「もっと別の事に目を向けて欲しい」と思ってしまうものです。

電車で100点満点でも、

コミュニケーションで0点はやっぱり親として「嫌」なのです。

 

私たち親は、色んな子どもと比べて自分の子どもがどれだけ違うかを悲観しますが、では同じことを子どもたちにされたら、私たちはどんなふうに思うでしょう?

「お母さん、掃除は100点だけど料理と洗濯は0点ね。」

「○○ちゃんのお母さんより、良い大学ではないからお母さんはだめだ。」

「お母さんはあのお母さんに比べて、全然オシャレじゃないし、ごはんも美味しくない!」

そんな事求められたら、私はたまったものではありません(笑)。

同じことを旦那さんにでも言われた日には、私たちは激怒するのではないのでしょうか?

でも、私たち親はそれと同じことを子どもに強いているのです。

 

もっと言えば、「親好み」の子どもをつくろうとしていると言っても過言ではありません。

無意識のうちなのですけれど、無意識だからこそ、怖いとも思います。

 

ましてや、発達障がいを「しつけ」でたたき出してやろうとか、「厳しくしつければ大丈夫だ」と思われる親御さんもいらっしゃるくらいです。

「知的な障がいがないから何とかなる」という考えは、私は個人的に即刻捨てるべきだと思います。

知的な障がいがなくても、「障がい」は「障がい」です。

彼らの生きにくさを「差別」ではなく、「差別化」して考えてしかるべきだと思います。

理解されないだけ、彼らは心に闇を抱えることになるのです。

 

私が、口酸っぱく「発達障がいの子には、好きなことを徹底的にさせるべき」と言うのには明確な理由があります。

人間という生き物は「好きなことをしていないと、苦手を克服できない」という側面がはっきりと存在するからです。

例えば脳の機能には「汎化」という機能が存在します。

簡単に説明しますと、好きなことに没頭することで、脳内のネットワークが強化され、ほかの苦手な分野がそれに刺激され「最適化」されるという現象が存在します。

また、身体的な機能もおなじで、

例えば麻痺してしまった体の部分をリハビリする際、

動かない方ではなく、きちんと動く方からリハビリを開始するそうです。

動ける方を先にリハビリすることで、麻痺している部分が動く方の身体についていこうとする「クロスエデュケーション効果」と呼ばれているものです。

 

つまり、得意な方を徹底的に追及するからこそ、苦手なことにチャレンジしようとする意欲が生まれるというのが、人間の本来の姿だと思います。

決して、苦手を克服したり、無理強いをすることが、教育や子育てではないということが、このことからわかります。

発達障がい特有の「こだわり」=「好きなこと」であるのが、ほとんどの場合真実です。

電車ばかりではだめでしょうか?

大好きなことを追求することが、たとえ学習につながらないとしても、それを無駄だと排除しては、何とも味気ない人生になるのではないのでしょうか?

私たち親も、「実じつ」のある人生ばかりを要求されては、それはそれは辛いものになるはずです。

3時の甘いお菓子があるから頑張れるということは、無駄でも素敵な人生のように感じませんか?

 

今、まさに「悩んでいる人」がいらっしゃると思います。

ですが、実は膝を抱えて、一人で部屋にいるだけでは、一向に暗闇しか見えてこないでしょう。

マイナスを数えるより、プラスに焦点を合わせたほうが、日々はきっと楽しいものになります。

前を向かなきゃ、前を向かなきゃと思っていても、苦しいだけです。

 

今、向いている方向が前。

太陽に背を向けて歩いているのなら、目の前には黒く伸びた陰しかありません。ですが、太陽に顔を向けて歩いているなら、目の前に影は見当たらないのです。

 

どうぞご自分やその家族が、太陽のほうを向いて歩いているのかを、確かめてみてください。

悩んでも良いのです。

立ち止まっても良いのです。

泣いたって良いのです。

ですが、不幸やアンラッキーを、どうか障がいのせいにはしないでください。

障がいを「不便」かもしれませんが、決して「不幸ではない」ことを、子どもも親も知るべきだと思います。

 

前田マリア