マリア&FU-KO 往復書簡(by ちいさな森)

⑦最後に・・・

ふーこさん。こと、美濃羽まゆみ様

あついあつい、最後のお返事受け取りました。本当にありがとう。

忙しくされているのは周知の事実。

それなのに、ちいさな森のためにお手紙を書いていただいて嬉しかったです。

私は、ふーこさんと朝倉美保さんに出会って、足元がぐらりと傾きました。

それは、もちろん良い意味で、

「あ、ここではないどこかへ行くのだ。私の人生に天変地異が起きるのだ 」

という直感でしかありません。

発達障がいの子どもたち、
そしてその家族のためにと動き出したこの「ちいさな森」が、

今や「おおきな森」になりつつあるのを、私たちは日々実感していますよね。

出版事業は、まだまだ序章のような気がしています。

来年は、もっと面白い事。もっと楽しいことが増えそうな予感。

36歳にもなって、心を分かち合える友人に出会えたこと、

こんな素晴らしいことってあるでしょうか?

往復書簡は終わりますが、本当に、これからもよろしく!

そして、いつもありがとう。

それから、朝倉美保様。

いつもいつも、PCと向き合って、私を支えてくれて、本当にありがとう。

出版事業部は、任せました(笑)。

これからも、よろしくお願い致します。

そして、いつもいつも私たちに力を与えて下さる、会員の皆様。

最後までお読みいただきありがとうございました。

皆さんからのあたたかいメール、あたたかいご支援、あたたかいコメントに、

私たちは日々支えられています。

これからも、楽しいこと、ワクワクすることを、どんどん発信していきたいと思っています。

発達障がいだからって 、こそこそ隠れて生きなくても良いのです。

正々堂々と、生きていけば良いのです。

1人でも多くの笑顔な子どもたちが、素敵な未来に向かって生きていけますように。

いつも、心から願っています。

主宰 前田マリア

 


マリアさま

こんにちは。

3往復限定でスタートしたこの往復書簡も、今回で最後かぁ・・・
と思うと、書きたいことがあふれすぎて、うまくまとまらなかったの。

終わるのが本当に惜しいんやけど、

やっと考えもまとまってきて書き始められそうなので、

今日筆をとらせてもらいました。

前回はなんとも唐突な質問に、真剣に答えてくれてありがとう!
マリアさん、やっぱりすっごくあなたらしい答え!

そう、「本当の意味での愛」って。
広く浅く、ではなく、どこかで困ってる誰か、でもなく。
「いかに目の前にいる人を、見返りを求めずに深く愛せたか」なのでしょうね。
私もまったく同感です。

いかに世界平和だとか、人間愛だとか、理想を口にしていても、

日常の行いがすべてだとおもう。

そりゃ、遠い土地への人道援助ももちろん大切。
でも、子どもと遊ぶことしかり、日々のご飯作りしかり、

道に落ちているごみをさりげなく拾うことも、出会う人に笑顔で挨拶する事だって。

心を込めて人に接することで、

その人の嬉しい気持ちが、周囲にいるひとを笑顔にしていく。

ささやかな平凡な暮らしの営みのなかで、

いかに近しいひとを、ものを、心から大切にできたかが、

それ以上の平和の連鎖を生むんじゃないかな。

人生も半ばといえる年齢に近づいてきて、いよいよそう思います。

それにしてもマリアさんの30歳の誕生日のエピソード、鳥肌ものだったなあ!
人生の節目節目に、なんというか強烈なイメージがおりてきて、

考え方をがらりと変えるようなことってあるよね。

わたしもね、ふーことして手作りの仕事しようときめたころ、見た夢があるねん。
それは、熱い熱い太陽のようなものにのみこまれて、

まさに私の命が尽きようとしている瞬間。

消え行くわたしが口にしたのが、

ごくごくシンプルな「ありがとう」という一言だった。

でもそう呟いているわたしは、

不思議と怖いとか、寂しいとかいう気持ちはなくて。

ただただ今までの出会い、縁に感謝して、

自分の人生を終えたことにどこか誇らしい気持ちになっていたの。
そしてまた、太陽にのみこまれて違う命に生まれ変わる予感がした。

今もありありと思い出せるほど、その記憶が強烈に胸の中に残っていてね。
わたしはそれからの人生、どんな出会いであっても、

その一つ一つに心を注いで、注ぎきって、後悔しないように生きるんだ。

そう心に決めたように思います。

では、今回の質問にお答えさせていただきますね。

まずは、「我が家の凸凹さんに対して、診断を受けるかどうか」ということ。

ゴンは1歳半の検診時と、5歳のときに保育園の先生からご指摘を受けているのみで、

結局専門家による診断をうけずにこれまで来ています。
まめぴーも似たような性質があるし、

受けたほうがはっきりしていいのかな、とも思うのですが、

今すぐにという感覚はありません。

というのも、

二人とも多少の世間との「そぐわなさ」はありつつも、本人なりにくふうを重ねているし、

そこから何かを学んでいるようすが見えるから。

そして、二人ともそれぞれの個性がありつつも、

周囲の人たちに受け入れられていると感じるから。

また、私自身が子どもたちの凸凹な性質を客観的に見られるようになってきたので、

声掛けや家の整え方など、具体的な対策を取れるようになったこともあるかも知れません。

それはきっと、診断を受けても受けなくても一緒だと思うんだ。
もちろん障がいのレベルの問題はあるし、

我が家の状況がすべてのご家庭には当てはまらないとは思うんだけど・・・

でもこれだけは言えるのは、

病名がついたからって、子どもそのものはまるで変化しないからです。

病名がわかって問題が解決するわけではないよね。
本人の生き辛さが変わるわけでもない。
ましてやお医者さんが治してくれるようなもんでもないはずです。

だから、今は

「あなたには他の人にはない、こういう性質があるね」

「あなたがしたことが、悪気がなくても周りに迷惑になることがあるんだよ」

というふうに伝えることだけをしています。

感覚的に分からないもの、どうがんばっても出来ないことは仕方ない。

でもそれを意識しておくだけで大分違うとおもうのね。

で、その特性ゆえに得意なことを、

マイナスを上回るほどに、十分にさせてあげる機会があればいいんじゃないかな。

それがきっと自信になるから。

だから今わたしが出来ることは、

その様子を見守り、彼らの言葉にていねいに耳をかたむけることだけかなって思ってます。

だけど、今後環境が変わって、

もしかすると凸凹を受け入れてもらえない状態になるかもしれない。

明らかに身体症状が出てきたり、

いじめや不登校など、社会に適応できなくなる可能性が出てきた場合は、

躊躇せず専門家の意見を聞きにいくと思います。

こんなとこかなあ。

それでは、最後の重大なテーマにお答えさせていただきますね!

「これからのFU-KOさん、一体どうなっていくの?
いや、どうしていきたいと考えていますか?」

まさに今の私にどんぴしゃの質問!
さすがやわー(笑)

何がどんぴしゃかというと、「今のわたしの状態」です。

FU-KOとして活動をはじめて8年が経ち、

洋服作りと並行して洋裁本や暮らしの本を出させてもらって。

はたまたびっくりしたことに、

雑誌やテレビなどメディアにも紹介してもらったり、

人前でお話をさせていただくことも増えました。

子どもたちもまだまだ手はかかるけれど、

すこしずつ手がはなれ、子どもが小さかったころとはまた違う悩みを持ったり、

選択を迫られるようになってきて。

今までは若さもあって(笑)無理を重ねてどうにか仕事をしてきたのもあったし、

「こうしたい」なんてビジョンも持たないまま今に至っています。

ただ、ひたすら皆さんに求められてきたことに応えて、今の私があるのよね。

でも、あと数年に迫ってきた、40代として生きることを見据えて、

すこし先回りして手を打つというか、目標をたてて生きていきたいって、

このごろ漠然と思うようになってきたのです。

今までの8年は、

暮らしをととのえ、自分の軸をみつけ、ご縁をいただいてきた時代。

でも、これからは、

新しい仕組みづくりをしていきたい。

いただいたご恩に恩返しができるように、笑顔の連鎖ができるように、

たとえば人がたのしく集える場だったり、ほんとうに知りたいことを得られる場だったり、

ご縁をつないでいきたいと思っています。

それから、今までは一人でこつこつやってきた作業ばかりだったけれど、

今後はもっと外へでて、誰かと手を携えて、

意見を出しながらやっていく仕事が増える気がしています。

その第一歩が、「ちいさな森出版社」。
まさかこんなに早く歩み始めるとは夢にもおもっていなかったけど(笑)
これがいいタイミングだったのだとおもう。

不安もちょっぴりあるけれど、

ワクワクのほうが勝っているからきっと大丈夫な気がしてます。
これからもどうぞよろしくね!

この3回にわたる往復書簡、本当にたのしかった!

こんなにも貴重で有意義な時間をあたえてくれた「ちいさな森」の二人へ、
そして何より、最後まで読んでくださった皆様へ、心から感謝をこめて。

本当に本当にありがとうございました!

FU-KOこと、美濃羽まゆみ

 


美濃羽まゆみ 様

お返事ありがとう!

いやー、楽しいねー。お手紙の交換。

でも、中身の濃ゆーい文通も最後の往復になります。

超忙しいのに、ホンマにありがとう!

「判断に困ったときの基準」もう、笑えました!

だって、かぶってるやん!って(笑)。

そうそう!「自分だけのぶれない軸」は本当大切。

特に子どもに恵まれてからは、心からそう思います。

今、子育てに関する情報が溢れすぎているでしょう?

早期教育しかり、ナチュラル子育てしかり。母乳神話に三歳児神話。

本当にたくさんある中で、この情報化社会の中、

「流行」が子育ての主役になっていることもしばしばですよね?

私、それだけはあってはならないことだと思っているのです。

子育てや子どもの教育が、

まだ何の検証もされていない「今」だけの成果を見た流行の教育法の餌食になるなんて、

許せないのです。

そんな時、「自分だけのぶれない軸」が確立していれば、

迷わないし、むしろ手すら伸ばさないですむものね。

特に、発達障がいの子と一緒に暮らしていると、

本当に私が「武士」でよかったなと思います(笑)。

そもそも私には、「発達障がいでこの子がかわいそう」という発想そのものがなく、

「発達障がいなら発達障がいで、工夫をすれば良いだけ」という考えは、

それこそ全くぶれないのですよ。

ふーこさんも、本当にぶれないよね!

まぁ、じゃないと「FU-KOなまいにち」が、

あんなに人気のブログにはならなかっただろうし、

あんなに素敵でシンプルで、そして、ありそうでどこにもないお洋服は作れなかったよね。うん。

ふーこさんも言っていたけど、

ブログのイメージで優しくておだやかーな雰囲気だと思ってらっしゃる方が多いと思うのだけど、

そのぶれなさや強さを知っている私は、

むしろ、この往復書簡のふーこさんのほうが本物のふーこさんに近い気がします。

さてさて、どでかいテーマをありがとう(笑)。

「最期のとき、何を考えていると思いますか?」ですな。

ふーこさん。やっぱりね、あなたはすごいです!

これ、私の人生の裏テーマですもの。

つまり、「なんて言って死にたいか」を、

大げさではなく、ここ5,6年はずっと考えているかも。

で、言い換えればそこが決まれば「生き方が自ずと決まってくる」と思います。

実は最期に言いたいことは決まっていて、これは秘密です(笑)。

本当にその時になってみなければわからないことだから、

私の心のうつわが、今のまんまでちっぽけだったら、

もしかしたら「バカヤロー!」って言っているかもしれないけれど(笑)。

でもね、私、人生は「どれだけ与えてもらったか」では決まらないと思っているのよ。

人生の充実って、「どれだけ、人にありがとうと言ってもらえたか?」で決まると思っているの。

そんな風に言うと、なんだか大げさで偉そうに聞こえると思うのだけど、

それは「してやっている」でもなく、「誰かに感謝されたい」でもなく、

ましてや「すごいことをしたと思われたい」でもないのですよ。

私が死んだあと、

「あーなんだか、ちょっといいばぁさんが死んだねー。

アクは強かったけど、結構いいばぁさんだったよねー」くらい思われれば、ちょうど良いです。

あとは、祀って欲しくもないので、さっさと忘れて頂きたい(笑)。

でもね、死にゆく私は自分の人生を誇りに思っている、なかなかのばぁさんでね、

「私は人の見ていないところでも、美しく生きられただろうか?」と、自問自答しているのです。

それは、見た目の造形美の事では、もちろんなく、

人の見ていないところで、ずるいことをしてはいないだろうか?

人のいないところで、道に落ちているごみを拾えただろうか?

そんな事を、きっと自分に問いただしていると思います。

そして、やっぱりクサイようだけど、

「愛」の事を考えているだろうなぁと思います。

どれだけの人に愛されたか?ではなく、

私はどれだけ、人を、隣人を、誰かを愛せたのだろうか?

見返りを求めず、愛せたのだろうか?と、たぶん、考えていますね。

私ね、30代に突入した時、ふとこんな考えが舞い降りてきたのよ。

忘れもしない、30歳になった誕生日。

長男ちゃーは生後二か月で、寝ない、泣き止まない、ずっと抱っこの本当に大変な赤ちゃんでね。

初めての赤ちゃんと睡眠不足で、全身にじんましんが現れたのね。

でもなぜかその時、自分の中の毒素のようなものがすぅーっと抜けて行くのを感じて、

「あぁ、これからは、人に愛を与えていく人生を歩もう」と、本当に自然に思えたの。

不思議でしょう?

その時はまだ、具体的なことなんか何にも浮かんでいなかったけど、

今考えたら、この「ちいさな森」の活動がそうなのかもしれないなぁと思っていたりします。

だからね、ふーこさんの質問。

最期の時、私はきっと「愛について」考えていると思います。

どれだけ広くではなく、

どれだけ深く、人や人生を、私にかかわる全ての人を、愛せたのかどうか?

これが私の答えです。

ふーこさんはどうなんだろう?

なんとなく、だけど、わかる気がするのは私だけかな?

よかったら教えてね!

あー。往復書簡が終わるのね。

さびしいわ。

これが、私からできる最後の質問になりますね。

はい、では、行きます。

「これからのFU-KOさん、一体どうなっていくの?

 いや、どうしていきたいと考えていますか?」

ゴンちゃんの事、まめぴーの事。

ちいさな森は、発達障がいを扱っているから

やっぱり、これから診断は受ける可能性はある?どんなタイミングで?

ということも教えて欲しい。

そして、ふーこさん自身は、どんな風になっていきたいと思っていますか?

是非、教えてください!

お返事お待ちしています。

​マリアより

 


前田マリアさま

お返事ありがとう!

ほんま、なんでこう文通って楽しいんだろうね。

わたしもよく友達と文通や交換日記とかしたなあ。

顔を合わせて話すときとは違って、なぜだか深く相手の心の中を知れるような気がするんだよね。
今回も、どうぞよろしくお願いします。

さてさて、前回のわたしの質問「迷ったときの判断の基準について」。
詳しく答えてくれてありがとう。

いやーーー!!!

まず率直な感想から言うと、マリアさん、あなた・・・

ずばり、「武士」やね(笑)

もう、女男なんてはるかに飛びぬけた「芯の通った正義感」。

そして「美学」。
さらにそこにお母ちゃんとしての「肝っ玉」がプラスされて、もう無敵やんか。

前田家の子ども達は、こんなお母ちゃんがそばにいつもいてくれて、
とてつもない安心感でのびのび育っているんだなあ、っておもったよ。
わたしも前田家の子どもになりたい(笑)

そんな、男前なマリアさんの、判断に困ったときの3つの基準。

1.「心、踊る」かどうか。
2.その答えは「美しいかどうか」。
3.「どうありたいか?」ではなく、「どうありたくないのか?」。

わたしもどれも深く深く、同感しました。

そうね、わたしの場合はこうかな。

1.わくわくするか。
2.笑顔が多いか。
3.調和がとれているか(自分のエゴかエゴでないか)。

ほんとうにびっくりした!

わくわく、は「心躍る」に言い換えることができるし、
「美しいか」は「調和がとれているか」に言い換えることができる。
たぶん、言葉は違うけれど、言ってることはだいたい同じやんねえ。

マリアさんとは出会ってまだ2年ちょっと。

育った環境も趣味も性格も違うのに、
ほんまに不思議なことやなあ・・・って鳥肌がたっちゃった。

でも、これって今までの私たちの30ウン年の人生において、
苦労してきたことや数々の失敗をもとに、

自分の知識と経験と五感とをフル動員させて
導き出してきたエッセンスを、ぎゅーーーっと濃縮してできた、

知恵の結晶そのものやと思うねん。

それは、世間的に間違っているかどうかなんて関係ない、

自分だけのぶれない軸になるもの。

だからこの部分にこそ、

その人なりの人生哲学みたいなのが見えてくるし、
ひいてはその人の性格や、いずれは運命だって形作っていくんじゃないかなって思うんです。

で、そうやって知恵を搾り出しながらどうにかこうにか答えを導き出し、
前に進んでいく大人の姿を、そばにいる子どもはちゃんと見てる。
見て、学んでいると思う。

それを自分の基準に取り入れるか、取り入れないのか、
反面教師にするのか、それは分からないけど、大きな影響を与えるのは確かだよね。

これから、マリアさんとわたしのこの基準が、変わっていくのか、

もしくはずっと変わらないのか。
どういうふうに年を重ねていくのかが、楽しみです。

(で、長男君の小学校問題も、どんな答えを出すのかも楽しみ!)

さて、今回マリアさんが投げかけてくれた質問。
「ふーこ流、穏やかな心を保つ方法」。

こりゃまた難題をありがとう(笑)。

なんかね〜、ブログや作品のイメージからなのか、

「穏やかでていねいな性格」だと思われていることが多い私。

実物を見てるマリアさんからしたらびっくりでしょ?

でも、もちろん一人のちっぽけな人間だから、

イライラしたりくよくよしたりすることは沢山あって。

そんなときに、どうやって調子を保っているのかな、と思い返してみると、
そういうときに決まってある行動をしていることに気づきました。

それは、「書く」こと。

あるときは日記だったり、ブログだったり、スクラップブックだったり。
特に読む人を想定しない日記やノートは、落ち込んだり悩んだり涙したり、
マイナスな感情も包み隠さず書き連ねます。

書ききったらそのことは一度忘れて、

美味しいものでも食べて大好きなお酒を飲んで(笑)早く寝る。
で、書いたものをあとあと読み返すのです。

よく世間では

「ポジティブ思考でいかなくちゃ」「いい面に目を向けなくちゃ」なんて言うよね。

そりゃ元気があるうちはいいけれど、

ポジティブでいるのに疲れ果てたら次はセラピーだとか、感動する映画だとか、

「誰かに、何かに癒してもらわなくちゃ」なんていうのがブームになってたりする。

でも、心の穏やかさを保つのに、無理やりポジティブでいる必要は無いと思ってるねん。
だって、嫌だとおもうことには、現状を変えるためのヒントが隠れてるもの。

だから、簡単に誰かのせいにしたり、環境のせいなんかになんかしちゃいけないとおもう。
そういうふうに感じてるのは自分だもの。

むろん、誰かに慰めてもらうってのもなんか可笑しいよね。

だから、洗いざらい書き出して、

自分がどう思っているかをよくよく観察してあげる。

例えば、「子どもが自分の思い通りにならない」と悩むのなら、それはなぜなのか。
じっくり書き出して考えていたら、

実は子ども側に原因があるのではなくて、自分の勝手な想いがあるんだって気が付いた。
子どものことを「自分と同じ意思をもった人間である」ことを忘れていたのではないかって思ったのね。
子どもは親の言うことを無条件にきかなくちゃいけない。
親は子どもをしつけなくちゃいけない、そう思い込んでいたのだと気づいたの。

それは小さい頃に親から教えられてしつけられたことだったり、

社会的に常識とされていることだったり、
知らず知らずのうちに身に付けた習慣がもとになっていることが多いのね。
自分の基準ではなくて、だれかの基準であり、どこかの常識だったりするわけ。

もちろん、それが分かるまでには苦しい思いはするよ。
「わたし、ダメダメだな・・・」って気づかされなくちゃいけないから。
そして、それが分かったら、それまでの習慣や思い込みをガラリと変えなくちゃいけないから。

でも、マイナスな自分の感情に「真正面から向き合える」と、

その後にすごい清々しさが待ってる。

本当の意味で、物事には良いも悪いもなくて、

ただただその状況から何を学んでいけるのか、それが生きるってことなんだなあって。

最近はそのことを良く思います。

あー、なんか今日はシリアスになっちゃったなあ(笑)
でもとっても大事なことだとおもうんだよ〜。

マリアさんはどうなんだろう?
書くことがすきって言ってはったし、同じような側面があるのかなーって思ってます。
あとね、読書とかもそうなのかもしれないよね。

さてさて、
次はこの限定イベントのなかで、私がマリアさんにできる最後の質問になるね。
何にしようかめっちゃ迷ったけど、ずどーんとでっかいテーマにするね(笑)

それは・・・

「最期のとき、何を考えていると思いますか?」

です!

生きていれば誰もが免れない「死」ということ。
考えずに生きていくのは簡単だけど、これを意識しているかどうかで生きる姿勢は
まったく違うものになっていくと思ってる。

最期、この世からお別れする瞬間に、

愛する子ども達に、今まで懸命に生きてきた人生のなかに、
そして未来の世界にむけて、マリアさんは何を思うのかな。

どうか、聞かせてもらえたら嬉しいです。

ふーこより

 


美濃羽 まゆみ様

お返事ありがとう。

ふーこさんからいただいたお返事に、

「あー、そうそう!そうなんよねー!」と、ブンブン頷きながら読みました。

こういうのって、昔やった文通みたいで楽しいねー。

今考えたら、なんであんなに毎日会ってるのに、手紙の交換をしてたんやろー?

謎(笑)。

さてさて、「迷った時の基準」ですね。

今、私にとって、「まさに!」な質問に、

ふーこさん、エスパー?とひとりごちた私です。

そもそも、私は「迷う」ということが あんまりなくて。

「どーしよー!」なんて、女子のように言うこともなく、

「なるようにしか、ならん!」と、どこか腹のくくっているところのある私が、

今、まさに「悩んで」いるのです。

それは、長男の小学校選び。

我が高槻市には「特別認定校」という制度があって、

高槻市に住む人なら誰でも通える、緑豊かな特色ある小学校があるのです。

発達障がいのある長男だけど、特別支援級タイプでもなく、

「特に必要ないのでは?」と言われているのもあって

少人数で特色のある体験的授業の多いその小学校を知って、虜になってしまったのですよ。

でもね、恐ろしく遠いの!

長男も気に入っているんやけど、バス二本乗り継いで、約1時間。

小学校低学年には、キツイ道のりなんです。

この問題に出会ってから、私はずっと迷っています。

もう、ずっとずっと、迷っていて、はじめて「迷う」ってことを経験しています(笑)。

で、この迷っている真っ最中に、深く考えて、

私が迷ったときに選びとる基準は何かって考えた時、すぅーっと答えが見つかったの。

それは、その選択をすることで「心、踊る」かどうか。

どれかひとつを選んだとき、

「私の心は踊れるのか?」ということが大きな基準になるのだと、改めて気づいたのです。

例えば、簡単な例で言えば仕事。

仕事って、7割辛いよね。

したくないこともしなきゃいけないし、

何かに直面した時、蓋をしたいような自分に遭遇することもあって…。

ふーこさんも私も「好き」を仕事にしたけど、

辛いこともあるし、嫌なこともあるし、体力の限界を感じたり、落ちこんだりもするでしょう?

でもやっぱり、「心、踊る」瞬間っていうのがあって、

それがあるから、頑張れるし、楽しい!って思えるのですよね。

違うかな?

だから、ひとつの基準は「心が踊るかどうか」なのです。

辛くてもしんどくても、心が踊るなら大丈夫。

そしてもうひとつは、その答えは「美しいかどうか」。

これってね、「ん?」と思われる方もたくさんいると思うのだけど、

選んで出した答えが美しければ、それは正解だと思っているの。

もちろん、世間基準ではなく、私基準の。

例えば、私は、ずるく生きることが大嫌いなのです。

周りにもいるのよね「ズルイ人」。

正直、付き合いたくなくても、子ども関係でしぶしぶ付き合っているひともいます。

でも、不思議と見抜けるからいいんだけど(笑)。

自分が得するように立ち回ったり、人を馬鹿にしてみたり、

いろんなところでひとの悪口を言ってみたり、

はたまた子どもを使って親のいいようにしてみたり。

人のこと気遣う振りをして、実は名声が欲しいだけだったりね。

そーいうこと、絶対にしないって決めているの。

だって、そんな姿、美しくないよね?

それに、人間、30も超えてくると顔にでる。

美人かどうかは、もう、あんまり関係なくて、

そう言う生き方は顔に出るよね?

本人が気づいていないのが、また怖いところですが……。

ズルく生きることは、世間的に得をするかもしれない。

もしかしたら、そちらの方が賢い生き方なのかもしれない。

でも、美しくないから、私は選ばない。

バカだと言われても、まっすぐ生きたいのよねー。

「正しい答えは美しい」

これ、真理をついていると思うのだけど、いかがでしょう?

そして、最後に考えるのは、

「どうありたいか?」ではなく、「どうありたくないのか?」。

どうありたいか?って、

この年齢になると、好きなものや、向いていることって、なんとなくわかってくるでしょう?

だから、それはイメージしやすいのだけど、

「どうありたくないのか?」は、考えないと、実は出てこないのよねー。

そして、本当はこっちが本質だったりするのが、面白いところ。

例えば、子どもが色んなことをしたいと言う時、

「自分が面倒くさいから、子どもにさせない」という選択肢は私にはないのね。

それは、明確に

「面倒くさいから子どもにさせない、という人間になりたくないから」なんですよ。

洗濯が大変だから、汚さないで。

お掃除が大変だから、散らかさないで。

家が汚れるから、お友達を呼ばないで。

ここにあるのは、

親が「面倒くさい」という気持ちなんですよね?

私はどんなことも、「面倒くさい」ことの先に、何かがあると思っているから、

「面倒くさい」と言う人間に、なりたくないのですよ。

だから、何かを決めるとき、

自分はどうありたいか?より、「どうありたくないか?」を考えることの方が多いのです。

どうありたくないか?がはっきりしていたら、

「どうありたいか?」と言うワクワクすることは、自ずと決まってくるのですよねー。

私が迷った時の基準、

こんな感じなのですが、どうだろう?

ふーこさんも明確な判断基準がありそうやけど?

それも聞いてみたい!

なんだか、長くなりました。

あの頃のお手紙の内容とは、ぜーんぜん違うけど(笑)。

やっぱり書いていて楽しいわ!

では、最後に、私からの質問。
ズバリ!「ふーこ流、穏やかな心を保つ方法」はいかに?

みんな、聞きたいと思うわー。

​ね?

マリアより

 


前田マリアさま

こんにちはー、ふーこです!

こちらこそ、今回は往復書簡をさせていただけることになってうれしい。

そして、ちいさな森会員250名突破おめでとうございます!

これからどんどん素晴らしい輪が広がっていくことを心より願っています。

しかし、こうしていざお便りさせていただくとなると、何だかちょっと緊張するね(笑)
でも固い文面より、いつも通りのおしゃべりのほうが本音が出るだろうから、

こんな感じでゆるーく語らせてもらおうと思ってます。

ほんとうに!(育てにくい子、について)

ちゃー君もそうだったとおもうけど、ゴンには本当に手を焼いたなあ。

特に「寝ない」「食べない」というのが

親にとってこんなにも神経をすりへらすって、知らへんかった。

で、喋り出すような年齢になったら、

今度はそのこだわり行動と、頑固な性格にほとほと困らされた。

人づきあいが苦手な私だけど、がんばって公園デビューしたり、児童館に通ってみたり。

でも、そうするとどうしても同世代の子どもたちと比べてしまうのね。

他のお子さんは大人しくお母さんの膝に座って、手遊びを楽しんでいたりするけど、

ゴンはすぐ他に興味がうつって脱走しちゃう。

名前を呼んでも応えず、好きな遊びを延々やってるし、他の子と交わろうとしない。

何しに来てるんだろう?ってがっくり。

今思えば彼女の発達に凸凹があったからなんだろうけど、

「なんでこの子(ゴン)は、普通じゃないんだろう・・・」って、

悩みは深くなるばかりだったな。

わずかな時間を縫って育児書を読んだりもしたけど、

なんだか読んでて腹が立ってくるの(笑)

あまりにわが子のことと違う、って。

でも、あるとき出会ったのが佐々木正美先生の「子どもへのまなざし」。

マリアさんもHPで推薦してて、嬉しくなったなあ。

ほんまいい本よねえ~。

よくある育児書のハウツーではなく、お母さんとしての心のあり方。

子どもとどう過ごすのか、ってところをちゃんと書いてあるのがよかった。

ああ、わたしのための本だ!って感動したのを覚えてる。

おかげで、それからは少し落ち着いて子どものことを考えられるようになったかも。

たとえ、親を困らせるためにやっているとしか思えない、一見へんてこりんな行動だって(笑)

なにか理由があってそうしてるのかも、って思えるようになってきた。

子どもだって、一人の人間。

たとえ今は未熟でも、ちゃんと意思をもってこの行動をしてるんだな。

そう思えると、この子なりのペースで大きくなっていくんだって、すこし安心できたの。

で、そのうち少ないなりにもママ友もできて、

その子たちの悩みを聞いてたら、ゴンとは逆で

「寝すぎて心配」「食べ過ぎて困る」「親の膝から離れないのが困る」って人もいたりし(笑)。

ああ、母というのは何がなんでも、心配になってしまう生き物なんだな、って思ったりもした。

なら、子どもが元気ならオッケーなんだな!って。

そっかあ、マリアさんも苦しい時期があったんやねえ。

いつもニコニコ大らかに構えてるマリアさんだから、想像もつかへんわあ・・・。

でも、そりゃそうよね。

子どもと一緒に生きるって、そういうこと。

一人では生きていけない、まだ自分の考えもうまく表現できない、

でも意思だけはしっかり持った、ややこしくも愛しい存在と一緒にいること。

子どもはあっという間に大きくなっていくから、

毎日がかけがえのない時間だとは分かっていても、

評価も無く、終わりの見えない育児ってやっぱりしんどいよね。

ほんま、体力と気力の勝負。

そうねえ、わたしが母として大切にしていること・・・

改めて考えてみると、「子どもと共に生きる」ということなのかな、って。

生まれる時期がたまたま違っただけで、私も子どもも、発達途中の人間なんだよね。

だからお互いが助け合い、今しかない時間を楽しみながら、

ともに人生を歩む存在だってことを忘れないこと。

それは言い換えると、子どものことを「支配しない」ということでもあるの。

子どもには、生きる力と意思がある。

なのに、親ってついつい未熟な彼らに手助けしなくては・・・導いてあげなくては・・・と

考えがちじゃない?(私自身そうだったし、今もたまにやっちゃうんだけど 。)

でも、そうすればするほど親子ともども苦しくなってしまう。

「あなたのためを思って」っていう親の行動は、だいたいが「自分が不安」だからじゃないかな。

子どもには成長していく力がちゃんと備わっているのに、

それをたかだか数十年前に生まれた人間だからって、

先輩面して邪魔しちゃいけないと思うんです。

子育ての最終目標は、間違いなく「自分で人生を切り開いていく力を得ること」。

そのために親ができることは、

障害物を取り除くことでも、先回りして安全な道へ行かせることじゃない。

失敗しても、ただただ見守ること。

でも子どものことを信じて待つことって、難しい。

シンプルなことだけに、「これでいいのかな?」って不安になることもあるよね。

私もけっこう家族にははっきり言うほうだから、

「私はこれは嫌だ、これは悲しい」ってことはわりとビシバシ言います。

でも、世間的にはこうだから、普通の家はこうだから、っていう事はできるだけ口に出さない。

たとえばゴンは食事のときのスタイルが変わっていて、

例えば餃子やショートケーキなどの色々な食感が混ざった料理は、解体して食べるの(笑)。

餃子なら皮の白い部分、中身、カリッと焼けたパリパリの部分、というように。

でもまあ、それは我が家においてはOK。

ただ、「こういう食べ方をしたら不快に思う人もいるんだよ」

「ゴンがどんなに素敵な人間でも、初めて会う人に嫌な印象を与える事があるよ」ってことだけは言うようにはしています。

すると、あるときひょいっとやらなくなることもあるねん!

子どもは停滞することってないのね。

成長し続けていけるんだ、って思えたら信じて待てる気がします。

あとは母なり、父なり、身近にいる人生の先輩達が精一杯生きて、

人生を楽しんでいる様子を見せること!

それに尽きるなあって。

マリアさんもこないだブログに書いてはったけど、

子どもってぜんぜん親の言うことは聞いてへんけど、やってることはちゃんと見てる(笑)。

親の背中は大きいぞ!ってね♪いつか追い越されるんだろうけどね。

ああ、つい長くなっちゃった!

では最後にマリアさんに質問~。

子どものことでも自分のことでも、

「迷ったときに、なにを基準にものごとを決める?」ってことを聞いてみたい。

楽しみにしています♪

​美濃羽まゆみ より

 


美濃羽 まゆみ様

このたびは、我がホームページに記事を書いて下さるなんて、光栄です。ありがとう。

ここでは、親しみを込めて、いつものように「ふーこさん」と呼ばせていただきますね。

さて、ふーこさんと何を話そうかなー?と考えていたんやけど……。

結局、子どものことになりそう(笑)。

ふーこさん家は一番上のゴンちゃんが、我が家の場合も長男が、

いわゆる「育てにくい子」だったわけじゃない?

我が家はもう、診断も出ているし、疑いようもないのだけれど、私ね最近思うのよ。

「長男が、発達障がいじゃなかったら、

子育てについてこんなに深く、考えていなかったんじゃないかな?」って。

長男が普通の子なら、「子どもって、なんだろう?」なんて、考えなかっただろうし、

親が子どもに与える影響や、家庭や家族がどうあるべきか?なんて、考えなかったんよね。

たぶん。

ふーこさんも、本に書いてあったけど、

私も、子どもって真っさらな状態で生まれてくるって思ってた。

でも、全然違ったんよね(笑)。

新生児の頃から意思の塊(笑)。

毎日毎日、もー、何やねん!この生き物は!でした。

1歳を過ぎて、発達障がいだと気づいてからは、様々なことに合点がいき、

だからかー!と膝を打ち、毎日が発見でした。

学生時代、それまでスポーツ一辺倒だった私が、

何故か心理学部に進んだ理由って、もしかしてこれだったのかなー?なんて思ったり。

でも、専門的な知識があっても、子育てが楽になるわけじゃなくて、

特に下の子を妊娠したりした時は、本当にキツイ時期がありました。

ほんまに、長男と出会って6年、

母としても人としても鍛えられることばかりだったなぁって思います。

そんな個性的な子どもと一緒に暮らしていて、

いつも頭をもたげるのは、「個性かわがままか」

そして、「どこまでがしつけで、そこまでを容認すべきか」なんですよね。

あとは、お母さんとして、一番大切にしていることを聞きたいなぁとおもっているのだけど、

美濃羽家のルールはどんなもんでしょう?

​マリアより