親の「悲しみ」は子の「悲しみ」。

先日、SNSでとても悲しい文章を目にしました。

発達障がいの子育てをされているお母さんが書かれた”愚痴”だと思うのですが
「あー、親にこれを思われながら育てられたら嫌だ」
と思ったんです。

記事にしようか迷いに迷って月末になってしまいましたが、
当事者として伝えた方がいいかな?と思ったので書くことにしました。


発達障がい、だけでなく、
「障がい」を持ったお子さんを育てているお母さんが1度は思うであろうこと。

「なんで。私の子どもが、障がいを持ってるの?」
「なんで、私はこんなに育てにくい子育てをしなくちゃいけないの?」
「なんで、私がこんなに苦労しなくちゃいけないの?」
「なんで、健常の子どもの子育てができないの?」
「もう、つらいし、しんどいし、苦しいし・・・」

・・・ですよねー?

でもね、当事者の私も同じようなことを思ったのですよ。

「なんで、私は障がいを持ってるの?」
「なんで、私は生きづらい人生を送らないといけないの?」
「なんで、私はこんなに苦労しなくちゃいけないの?」
「なんで、私は健常者になれなかったの?」
「もう、つらいし、しんどいし、苦しいし・・・」

ね、一緒でしょう?


私は34歳で発達障がい、とわかったのですが
ずーっと「育てにくい子ども」だったわけです。

私の母は、
「あんたは、わけがわからへん」
と言っていました。

気まぐれだし、わがままだし、こだわるし、食べないし。

ただ、私は真ん中っ子だったので、
姉(定型)の子育てもあり、そんなに構っていられなかったんです。

それが、良かったのか、どうなのか、
「もー、好きにしなさい」
といって育てられました。

だから、自由奔放に育った私。
ただし、「条件」付きの自由ですが。

・成績はオール5にしなさい
・大学は国公立しか行かせません など

決め事があると、「守らなければ」と必死です。
手を浮くことができません。

友だちと遊ぶよりも、勉強ばっかりしていました。


ちょっと話が逸れました。

「親が思っていること」は、将来「子どもが思うこと」なんです。

学生時代であれば、友だち関係で苦しみ、先生ともうまく付き合えず、
社会人になれば、就職で悩み、仕事内容で悩み、つらい思いをします。

多くの、障がいを持っている人が直面することです。

私が取材を通して、活躍するいろんな障がいの方と話していて気づくのは

「家族の支え」 です。

「あなたの味方だよ」「何かあったら、すぐいいなよ」
「障がいでも大丈夫だよ」「できることをやっていこうよ」

子育ての苦しみは、私も大人ですからわからなくはないのです。
でも、親が受け入れてくれなければ、私たち障がい者はどうしたらいいのでしょう?

私の「障がい」を親が目の前で悲しんだとします。

もう、「生まれて、ごめんなさい」としか言えなくなります。


子育てのしんどさ、苦しみ、わからないことないんですよ。

健常者よりも工夫もたくさんしなくてはいけない。

放っておいても育つ子どもではありません。

 

でも、子ども自身も、他の子どもとの違いを感じ、

生きづらさも感じながら成長していくのです。

 

「親」の悲しみや嘆きは、「子ども」の悲しみや嘆きになります。

大きく成長するに従って、それが反抗期の流れで
不登校になったり、暴れたりすることにも繋がっていく可能性もあるのです。

SNSを見たとき、
「お母さんは健常者でよかったね。」
「子どもの私は、なんでかわからないけど障がい者だよ。」

悲しくなりました。
産んだのは親なのに。。。

悲しいかな、障がい者であることは変わらないのです。

一生付き合って行かなければならないのは、親だけではなく、子ども自身です。

一生嘆かないでください、ということではないんです。
いつか、子どもが目にしない形で嘆いてほしい。

そして、
子どもと接する時には「笑顔の親」でいてほしい。

当事者として、思うことはそれだけなのです。

朝倉美保