FU-KO&マリアの対談<環境で変わる、子どもたちの考え方>

「きらり。」vol.3
FU-KO&前田マリア 対談

紙面に収録しきれなかった内容を、小分けにして載せたいと思います。

今回は、学校などの環境で変わる、子どもたちの考え方について語っていただいています。

普通級と支援級、分けることでいいこともあるけれど
分けないで過ごすことでもいいことがある。

子どもたちの柔軟性は、すごいなぁ、と思います。


<環境で変わる、子どもたちの考え方>

ふーこ 
学校教育もさ「みんな仲良く」とか「友だち多い方がいい」とかになるけども、そうじゃないんよ。
交じりあえへん人もいるけど、それでも一緒にいることで「配慮」が生まれたりとかするんよね。
長女の場合は、「天気悪いと機嫌悪くなる」だとか「食べ物を分解して食べる変わった子」って思われてるけど、それをなんか面白く思ってくれてる友だちやから一緒にいてくれるんよね。
「一緒にいるから一緒のことする」ではなくて「違っているけど一緒にいる」って言うのが良くて。

マリア  うんうん。

ふーこ
もし、診断を受けたら、たぶんクラスを分けられてしまうやんか。
それから、「この子の問題行動をなくして、普通の子たちに合うように教育しよう」ってなるんじゃないかな?と思うんよね。
もしかしたら、そうじゃないこともあるとは思うけど。
けど、分けちゃうことで、普通クラスの子どもたちは療育行ってる友だちの対処方法がわからなくなるよね。多分ね。
だから、私は「診断受けるのは怖いな」って思ってて。

マリア
別にね、発達障がいであろうがなかろうが、結局問題解決をしながら大きくなっていくしね。
衝突自体をビビってたら「生きる力」が育っていかないやんか。教えないと。

ふーこ
コミュニケーション能力を育てたいなら、そこやんな。
英語とかではなくて。
やっぱりお互いの違う意見をどう解決していくか、探っていく力とかは、異質な存在と交わらないと育っていかないと思うのよね。
やっぱ、今は「みんな一緒」やから衝突も起きひんかもしれんけど、それでは「人と生きていく力」が身につかない気がするのよね。

マリア
最近ね、気づいたことがあってね。
どの子もね、「ごめんなさい」ってすぐ言えるんやんか。
幼稚園とかでもね、すぐに「ごめんなさい」って言うねん。

ふーこ  うんうん。

マリア
でね、「なんで『ごめんなさい』したん?」って聞いてみたら、全部人のせいにするねん。
悪いことしたら「ごめんなさい」って言いなさい、っていう方法しか教えられていないねん。
例えば、「人が泣いたら、ごめんなさい、しときなさい」「あなたが悪くなくても、ごめんなさい、しときなさい」って教えられてるのよね。

ふーこ
大人がそういう風に誘導するよね。
「ごめんなさい、は?」って言うたりとか。

マリア
そうやねん。
だからな、全然自分は悪いことしたって思ってないねん。
そら、人のせいにするよな?って思ったよ。
これが、今の世の中なんやな、大人になったら怖いな、って思った。

ふーこ
そら、簡単やし、波風も立たへんけど、なんか大切なことが失われていくよね。

マリア
なんで「ごめんなさい」なの?、って言ったら、「私じゃなくて、あの子が」って言うねんな。

ふーこ  いやいやいやいや・・・

マリア
じゃあ、なんで「ごめんなさい」って言ったん?、って聞いたら、「ごめんなさい、って言わなくちゃいけないから」なんやんか。
「方法」やん?!ちゃうやんな?
「ごめんなさい」「ありがとう」はちゃうやんな?!

ふーこ  ちゃうなー

マリア
最近、ほんまにヒシヒシと感じててね。
それにね、「ごめんなさい」の意味を聞くお母さんもいないねんな。
「なんで『ごめんなさい』したん?」って聞くんじゃなくて、「それが悪いってなんで思うの?」って聞くお母さんいないやんか。
それって、「子どもが悪いことをした」って決めつけやんか。
そうじゃなくて、なんで怒られてるのか、なんで悪いのかを「子どもの口」から聞かないと、そこでまた「ごめんなさい」って言って終わりで、また同じことするやろ?って、思うねんな。

ふーこ
やっぱり、子ども同士のことに、親は入るべきではなくて。
どっちも悪いから喧嘩するんやし、その時に本当に「自分が悪い」と思わなければ「ごめんなさい」って言葉は出てこないし、「仲直りしたい」って気持ちが生まれて、初めて言葉って出てくると思うねんな。

マリア  そーやねんなー。

ふーこ
「言葉」だけ教えても、「気持ち」の方がついてこないよね。

マリア
だから、最近「子育て」自体がハウツー化されてるな、って思うねんな。
「すぐ謝れる子どもにしないといけない」とか「波風立てない子どもにしないといけない」とか。なんか「技術」みたいになってきてて。

ふーこ
でも、「技術」は本来、それを「使うため」に習得するものやもんな。
それを、みんな他の人たちと同じようにやったりとか、流行りの教育法で教育してしまうと、その仲間の間では安全かもしれないけれど、一歩違う世界に出ていったら抵抗力みたいなのがなくなっちゃうよね。

マリア
母親がさ、子どもの世界に踏み込めるのなんか、人生の中でほんの一瞬やんか。
小さい時だけやから。
だから「私の教育法で育てなければ」とか、なくてもいいと思うのよね。

ふーこ
そうだねー。
大人たちがそれぞれ、自分が「正しい」と思ったやり方をすればいいと思う。

マリア
そうやねん。
「正義」だけが間違っていなければいい、と思わへん?
小さい枠で考えるのではなくて、大きな枠の中で夫婦二人の意見が合っていればいい、と思って。

ふーこ
うんうん。何事も視野を広く持って物事を見ていった方がいいよね。

・・・


<Blog>

ふーこ(美濃羽まゆみ):http://fukohm.exblog.jp

前田マリア:http://marianoouchi.exblog.jp


子どもたちの考え方は、とっても柔軟です。

偏見を知らない年齢から、障がいの子どもと触れ合っていれば、どう接してあげるのがいいのか、自分たちで考えながら、お互いを尊重しあって成長してくれたりします。

大人が「あれはダメ」「もっとこうしなさい」などを言うことで、
子どもの柔軟な考え方が失われていっている可能性もあるのかもしれませんね。

教育というのは、本当に奥深いこと。

どう「声かけをするか」で、子どもの考え方は真逆にもなるのです。

今回の対談では、そういう「子どもたちの可能性」が垣間見れたのではないかな?と思います。

お子さんと接することがある方は、
ぜひ「声のかけ方」「どう教えるのか」をより考える機会にしていただければいいな、と思います。

朝倉美保